おこころざしを頂き新たに思うこと
2016.10.28
来訪者様より温かな応援メッセージと900を超える「応援する!」は、毎日私たちひとり一人のモチベーションになっています。そして何より私たちの活動に「カンパ・支援」の形でご寄付していただいた皆様、本当にありがとうございます。応援メッセージを見るたびに熱い思いがこみ上げます。皆様からの「おこころざし」を活動の諸事務経費に充てて有効に大切に使わせていただきます。
そんなことで今日は「凄まじい志」にまつわるお話を一つ紹介させてください。遊佐町の観光名所にもなっている十六羅漢です。
鳥海山に降り注いだ雪や雨水が、何十年か後に湧水となって月光川に流れ田圃を潤し、幾つかの支流と合わさって吹浦海岸の日本海に入ります。その近く、かつて鳥海山が噴火した際に日本海に流れ出た溶岩に十六羅漢が彫られています。
十六羅漢とは、お釈迦様の死後、弥勒仏が出現するまで正しい教えを託された16人の修行者で、仏教の布教に努めた尊者のことです。羅漢を供養することで、多くの人々が幸福になり、災害から免れると言われています。また、漁村である吹浦では、多くの漁師が日本海の荒波に命を失うこともあり、諸精霊の供養と海上安全も祈願するようになりました。
こうした羅漢信仰が根底にあり、遊佐町吹浦の海禅寺21代住職、寛海和尚が十六羅漢を発願しました。寛海和尚は、羅漢仏をつくるため、地元遊佐のみならず、酒田方面まで托鉢を行い、浄財が一両から二両集まるごとに地元の石工に依頼し、元治元年(1864)から明治元年(1868)までの約5年の歳月をかけて、十六羅漢と釈迦牟尼 、文殊菩薩、普賢菩薩、観音菩薩に、十大弟子の中の舎利弗、目建連をあわせた6体を加え、22体の磨崖仏を見事に完成させました。それを見届けた寛海和尚は、明治4年(1871)7月、71歳の時にご自身が守り仏になるため、羅漢岩の傍らの海に身を投じました。
私たち「庄内みどり農協の未来を考える会」の活動を始めてから4年の歳月が流れました。活動は精算資料の精査、学習会資料のコピー、会員への資料郵送など、学習会を開くために庄内みどり農協内の会議室を借りようとしても難色を示されているのが現状です。全員が農協組合員なのに・・・。
でも、負けません!私たちは本当の意味で「みどり農協の未来を考えて」起こした行動ですから!皆様の「おこころざし」も無にすることはできません。来るべき11月17日の鶴岡での第2回口頭弁論ではしっかりと私たちの主張を通したいと思っています。
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